対馬6町合併への歩み

 




はじめに

 対馬は、律令制の下では、国に準ずる扱いを受け、国府・国分寺がおかれ対馬国といわれた。

 江戸時代には、宗家10万石の対馬藩がおかれ、明治維新まで続いた、明治4年の廃藩置県により厳原県となり、その後、伊万里県等めまぐるしい程の統廃合が行われ、明治5年になって現在の長崎県に所属することとなった。

 このように対馬は、古くから一体的な地域を形成し、経済文化・日常生活の面でも深い結びつきを有してきた。

 広域行政の取り組みも早く、現在の対馬総町村組合は、明治17年に上下県郡総町村会として発足以来、対馬地域の総合開発の名のもとに、学校の設立・道路の整備・航路の確保・医療福祉など、あらゆる分野で他の広域圏組合には見られない、輝かしい百十数年の歴史を残している。

 昭和30年から昭和31年にかけて、町村合併促進法により島内町村の合併、これによる行財政規模の拡大及び政策能力の向上が図られ、総町村組合の任務も、本来の限定されたものとなったが、昭和48年の広域常備消防の設置をはじめ、平成12年4月からは、介護保険の広域化、さらにはごみ処理広域化施設の建設に着手するなど、島内一体的な取り組みをしている現状にある。

 



島内町村の推移

 

 藩政時代(明治維新前)は、対馬は上県郡の4郷と下県郡の4郷の2郡8郷(1府111村)に区分されていた。

  上県郡

   豊崎郷    17村

   佐護郷     8村

   伊奈郷    16村

   三根郷    10村

  下県郡

   仁位郷    18村

   与良郷  1府30村

   佐須郷     9村

   豆酘郷     3村

 その後、幾多の変遷を経たが、明治41年の町村制施行により2郡1町12村となった。
  下県郡(1町7村)

   厳原町、与良村、佐須村、@知村、竹敷村、船越村、仁位村、奴加岳村

  上県郡(5村)

   峰村、佐須奈村、仁田村、豊崎村、琴村

 さらに、明治45年与良村を久田村、豆酘村に分割、大正15年竹敷村が@知村に吸収され、昭和15年@知村が、昭和23年豊崎村がそれぞれ町制施行し、町村合併前の13ヶ町村となった。

  下県郡(2町6村)

   厳原町、久田村、豆酘村、佐須村、@知町、船越村、仁位村、奴加岳村

  上県郡(1町4村)

   峰村、佐須奈村、仁田村、豊崎町、琴村

 昭和28年町村合併促進法が施行され、この法の趣旨に則り、町村合併が進められ、4町2村となった。

  下県郡(2町1村)

   厳原町、美津島町、豊玉村

  上県郡(2町1村)

   峰村、上県町、上対馬町

 その後、昭和50年4月1日に豊玉村が、昭和51年4月1日に峰村が、それぞれ町制施行され、現在の6町となった。





現 在 の 町

(合併年月日)



合 併 前 の 1 3 ヶ 町 村
 



方   式
 









 


厳 原 町

(いづはらまち)
(S31.9.30)


厳原町、久田村、豆酘村、佐須村
 


  新設合併
 


美 津 島 町

(みつしまちょう)
(S30.3.1)



鶏知町、船越村
 


  新設合併
 


豊 玉 町

(とよたまちょう)
(S30.3.20)


仁位村、奴加岳村
 


  新設合併
 










 


峰   町

(みねちょう)
 



 



 


上 県 町

(かみあがたちょう)
(S30.4.15)


佐須奈村、仁田村
 


  新設合併
 


上 対 馬 町

(かみつしまちょう)
(S30.1.1)
 


豊崎町、琴村

 


  新設合併